2011年07月30日

伊良部秀輝よ さようなら

日本人最速の男であった伊良部秀輝がアメリカで亡くなった。享年42歳。どうやら自殺らしい。

伊良部は尽誠学園の頃から球が速いことで注目されていた。しかし、プロに入ってしばらくは速球で勝負するスタイルに固執していて、伸び悩んでいた。具体的にはカウントをとる球がなかった。八木沢監督時代に、彼は球速を抑えてコントロールを重視する投球に切り替えた。セットで投げ出したのもこの頃だったと思う。カウントを稼ぐボールとしてカーブを覚え、ロッテ不動の三本柱(小宮山、ヒルマンと伊良部)となった。ボビー政権時代のロッテで、マジック1となったオリックスと、二位のロッテが直接対決した最終シリーズは、今でも語り草になっている。三本柱でロッテが目の前での胴上げを阻止し、確か小宮山だったと思うが「僕達は強いですから」と高らかに宣言したのだ。この頃が伊良部の絶頂期(94年に15勝で最多勝、95,96年に最優秀防御率を獲得)だったと思う。西武の清原に対しては速球でグイグイと勝負し、この二人の対決は「平成の名勝負」と言われた。余談だが、水島新司先生は、伊良部に「〜だロッテ!」と喋らせるという、かなり微妙なキャラを演じさせていた。
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伊良部が悪役になったのは96年オフ。ロッテフロントが伊良部のメジャーへの移籍を叶えさようとパドレスへの移籍を容認したが、伊良部はヤンキーズへの移籍に拘り、団野村を代理人として泥沼化した。和製ノーマンライアン(たまごどんは94〜95年の伊良部だったら、その呼称にふさわしいと思った)、伊良部秀輝はニューヨークヤンキーズに入団したが、ツバ吐き事件などで問題児扱いされ、3年でヤンキーズを去った。

最後の輝きを放ったのが2003年の日本球界復帰だ。星野政権の阪神に入団し、その年の阪神優勝に大きく貢献した(13勝)。その阪神を去った後は、アメリカでうどん屋を経営したり、ブラックカードが使えないと暴行事件を起こしたり、四国アイランドリーグで現役を続行したりと話題を振りまいたが、最後の話題が自殺とは‥。

伊良部は沖縄出身のハーフであり、日本社会からもアメリカ社会からも疎外感を感じていたのかもしれない。由規の登場によって伊良部は日本人最速男という称号を返上したけど、たまごどんにはやはり伊良部の方が速かった気がする。故人のご冥福をお祈りします。

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th302d at 01:52│Comments(0)TrackBack(0)訃報 | 野球

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