2015年10月31日

天野貴元さん逝く

元奨励会三段でアマ将棋界の強豪だった天野貴元さんが亡くなった。享年は僅か30歳。舌癌により舌の大部分を切除して元々の声を失いつつも、プロへの道を探っていた将棋指しである。

彼に才能が無かったわけではない。奨励会三段になったのは16歳の時で、むしろ早い方だ。たまごどんはNHK杯で記録を取っている天野さんを知っている。彼は長髪でイケメンだった。しかし彼は26歳で奨励会を退会するまで、三段のまま足踏みした。10年もの間、奨励会三段のままでいることのストレスは耐え難いものだったろう。彼はオール・インという自叙伝を上梓している。また、嬉野流という奇襲戦法書も出版した。

癌を発症した彼は、将棋と真剣に向き合うことを心に刻み付けたという。赤旗名人になり、プロになるための茨の道半ばで、彼は斃れた。

ここの記事は涙無くては読めなかった。オール・インで将棋ペンクラブの文芸部門大賞を獲ったときの彼のスピーチを、全文記しておく。

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失うことによって手に入れたもの 

       天野貴元

 私にとって「プロ棋士」という職業は「もしなれたらいいのになあ」といった手の届きそうもない遠い夢ではなくて、確実で具体的な自分の未来像として存在していたものでした。

 プロ棋士になるということは、夢や憧れではなく自分に課せられた絶対的な使命であって、高校にも行かず、将棋一本に賭けてきたのもそれを固く信じていたからです。

 それだけに、プロ入りすらかなわなかったという結末は、私にとって予想だにしない、受け入れがたい痛恨でありました。

 大きな目標を失った私が直面した問題は、将棋が強いということ以外に何も取り柄のなさそうな自分が、これからどうやって生きていけばよいのかという切実な問題でした。

 「人間が生きていくうえで、将棋が強いことにどんな意味があるんだろう」。いまもってその問いに対する明快な答えは分かりませんが、少なくとも自分が奨励会でやってきたことがすべて無駄に、台無しになったということはない。それを私に教えてくれたのが「がん」の経験だったと思います。

 奨励会退会から約1年後に「舌がん」の宣告を受け、その後「生きる」という新しい目標に向かって、私はいま最新の治療を受けています。

 正直なところ、現在の形勢はあまり良くないと見ていますが、どのような局面であっても最善手を模索するメンタル面の重要性は、将棋が私に教えてくれたことのひとつでした。

 あの厳しい三段リーグに10年も身を置いた人間が、これしきのことで簡単に投了することはできない。そう考えれば、将棋に学んだことは、本当の意味で私の力になっているのです。

 残念ながら、私はプロ棋士になって自らの将棋でファンを楽しませることはできませんでした。しかし、そのかわりにこうして本を出すことができ、このたび思いがけず価値のある賞をいただくことができました。

 何かを失うことによって、自分が思ってもみなかった別の人生を手に入れることもあるということを、私はこの本を出したことによってはじめて知ったような気がします。

 いつ何時でもいい、「将棋の世界にもこんな奴がいたんだな」と、どこかで誰かに思っていただけたら、それは私にとって最高の救いです。

 何者でもない私の本を、高く評価してくださった方々に、この場を借りて深く感謝いたします。そして本書が、ひとりでも多くの方々が「将棋」に興味を持つきっかけとなることを願ってやみません。
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th302d at 23:58│Comments(0)TrackBack(0)将棋 | 訃報

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