プロレス

2020年07月29日

2009年6月13日からの三沢光晴を読んだ

2009年6月13日からの三沢光晴(長谷川晶一 主婦の友社)を読んだ。この本とは、市立図書館で偶然に出会った。背表紙だけで、たまごどんが読まなくてはならない本だと分かった。

正直に言おう、この本を読んでたまごどんは涙が止まらなかった。50近いオヤジが読んで泣いてしまう本というのは滅多にない。この本はその滅多にない本だった。

プロレス興行が成立するためには、選手やレフリー、団体の裏方、プロレスジャーナリストが必要だ。2009年6月13日の広島グリーンアリーナNOAH大会もそうだった。その日のメインイベントは齋藤彰俊&バイソンスミス組 vs 潮崎豪&三沢光晴組。週刊プロレスの記者やカメラマンが広島に現地入りし、三沢の付き人だった鈴木鼓太郎も三沢の買い出しを行っていた。いつもの、なんてことのない日常。

この本は三沢最期の1日から始まっている。三沢の生い立ちや、当時の慢性的な体調不良のこと、それでも休むに休めないNOAHの事情のことが読者に説明されながら、焦点はメインイベントに収斂していく。齋藤彰俊が放った三沢へのバックドロップで、事態は急変する。三沢が動かないのだ!三沢はしばらく意識があり、西永レフリーは試合を止めろという三沢の意思表示を聞いている。西永レフリーはすぐに試合を止め、斎藤&バイソン組の勝利を称えた。直ちにリングドクターがリングに上げられ、三沢の蘇生処置が施された。落合カメラマンは撮影を逡巡する。異常事態であることはすぐに悟った。俺は、三沢という友人が苦しんでいるこの状況を撮影するべきなのか?

この本が書かれる前に、NOAHの全面協力のもとで、関係者への取材が行われている。取材の窓口は、当時の週刊プロレス編集長だった佐久間一彦氏が担当した。しかし本を読めばわかるが、この本の実質的な主役は佐久間氏だ。彼は自問する。「なぜ自分は、あの現場に居なかったのか」。

佐久間氏は訃報を受けてから、週刊プロレスの通常号と増刊号を作り上げるために奮闘する。本文から引用しよう。

>三沢が亡くなってからの四日間、自宅にも戻らず、ゆっくりと眠ることもできなかった。肉体的には過酷な日々だったものの、佐久間の中にある「三沢さんのためにいいものを作りたい」という思いが原動力となっていた。(p142)

舞台は6年後に移る。当時の関係者もそれぞれの人生を歩んでいた。佐久間氏もベースボールマガジン社を退社した。リングドクターを務めた武田氏も二宮氏も、結婚されたり病院経営に奔走している。選手会長だった森嶋も引退し、潮崎と鼓太郎は全日に移籍した。けれども彼らは三沢の思い出と感謝を語った。そして齋藤彰俊も。

佐久間氏と齋藤彰俊との会話に、たまごどんの涙腺は決壊した。長くなるが引用しよう。
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「あのときの『週刊プロレス』はご覧になりましたか?」
齋藤はすぐに答える。
「見たと思います。」
ここから、佐久間の「独白」が始まる。
「あのとき、僕が編集長でした。あの場面の写真を使うかどうか、会社から一任されました。僕はあの日、会場には行っていません。でも、写真を見る限り、”原因はこれじゃない”と判断しました。だから、誌面に掲載しました。それによって読者がどう判断するのか、僕にはわかりませんでした。でも、少なくともプロレスをずっと見てきた人なら、あのバックドロップが特別に危険なものではないとわかると思いました。あのとき、斎藤さんはクラッチを外していましたよね?」
「はい」
「ロックしたまま投げる方が明らかにリスキーだったのに、齋藤さんはクラッチを外していました」
「そうなんです。そうおっしゃっていただけると本当に助かります。クラッチを組んだままあの角度で投げると、すべての衝撃が首に行くんです」
「受け身が取れないですからね」
「そうです。それをわからない方は、”クラッチが外れたのは明らかに齋藤のミスだ”と言う人もいました。それに対して反論はしませんでしたけど、今、そうおっしゃっていただいて…」
六年分の思いを込めて佐久間が答える。
「個人的な問題なのですが、この六年間、”掲載したことははたしてよかったのか?”。この思いはずっと結論を出せずにいたんです…」
齋藤もまた万感の思いを込めて答える。
「はい。”いつもと変わらないバックドロップだった”と書いて下さって、本当に助かりました。佐久間さんを含めて、いろいろな方がすごく好意的にして下さったことは、本当に感謝しかありません。どうもありがとうございました」
思わず涙が込み上げてくる。ぐっとこらえたものの、喜びとも安堵とも違う、それまでに感じたことのない不思議な感情が佐久間を襲った。
六年間の胸のつかえが、ようやく取れた気がしたー。(pp.234-236)
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2020年06月14日

昨日が三沢の命日だった

6/13の三沢の命日を忘れてしまっていた。

三沢は46歳で亡くなっているんだなあ。
たまごどんの年齢は彼を抜いてしまった。

来年は十三回忌になるそうだ。
ノアは追悼イベントを企画してくれるのだろうか。

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2019年06月27日

長州力が引退したそうだ

長州力が6/26の後楽園ホールで引退式をした。ラストマッチは藤波らとの6人タッグマッチ。最後は真壁にフォールされたようだが、そのへんは引退式なのでどうでもいい。

長州力の事実上の引退は「ど真ん中」じゃないだろうか。大コケにコケたど真ん中で金銭トラブルを抱え、健介と絶縁する事態になった。最近はバラエティでよく見るようになったが、天龍よりは売れていないかな。

引退の10カウントなかったそうなので、復帰プランがあるのかもしれないが、もう67歳だしなあ。

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2019年06月13日

三沢光晴10周忌だった。

史上最高のプロレスラー・三沢光晴が亡くなったのは2009年6月13日。ちょうど10年前となる。たまごどんは、この日のことをよく覚えている。すばるピョンと犬のおじさんから電話がかかってきて、三沢の死を教えてもらったのだ。たまごどんが行く!で取り上げた三沢の訃報を読み返した。やはりグッとくる。この日からしばらく、三沢のことしかたまごどんは書いていない。

三沢最高説はここを読むと分かる。デイリースポーツで、三沢10周忌を取り上げていた。四天王プロレスの頂点を極めた男・小橋建太、付き人だった丸藤、なぜか小島聡、そして三沢の最後の対戦相手となった齋藤彰俊だ。彼らもまた、三沢というプロレスの天才に惹かれた男たちなのだ。

今日はスパルタンXを聞いて寝ることにする。
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2019年03月30日

北尾光司の死

60代横綱双羽黒こと北尾光司が慢性腎不全で亡くなったという。享年55歳。大相撲時代も、プロレス時代も、たまごどんは彼を知っている。素質は抜群、小学六年生で身長186cmに達してて、入門時には199cmの巨漢だった。花のサンパチ組(昭和38年生まれの北尾、大乃国、保志[後の北勝海]を指す)の中でも、輝きは1番だったように思う。当時は千代の富士の一強時代で、千代の富士を破るのは北尾と目されていた。

彼は付け人に暴力をふるい、女将さんを蹴飛ばし、ドタバタと廃業する。彼のプロレス転向は相撲の廃業から2年後だ。北斗の拳をイメージした革ジャケットと、マッドマックス的なサングラス、ホーガン入っているTシャツ破りと、なんだかなあ的デビューだった。相手はクラッシャー・バンバン・ビガロで、なんとかプロレスとして成立させたビガロに、たまごどんは感心したものだ。
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デビューから半年くらいしてから、デーモン小暮閣下はオールナイトニッポンに北尾をゲストとして呼んだ。北尾は、「マイクで挑発するだけのイケてないプロレスは嫌なので、自分はそうしたくない」と語っていたが、そんな彼は長州力に「この朝鮮人野郎!」と暴言を吐いて新日マットから追放された。SWSではジョン・テンタ戦の後に、観客に向かって「お前ら、こんなもの(八百長試合)見て面白いのか!」と叫び、プロレスファンからの総スカンを買った。まさに、北尾の存在そのものがヒールだった。

北尾がプロレス界に残した貢献は、高田延彦の格上げだろう。当時UインターのNo.2と目されていた山崎一夫を巨体を生かして破った北尾は、高田戦をブチ上げた。高田vs北尾は、Uインターの大将vs最強のヒールとなり、結末の壮絶さ(高田のハイキックで北尾がKO)もあって、北尾狩りを果たした高田のステータスは一気に上がった。どうもUインターのブック破りがあったようだ。我が生涯のベストバウトである1995年10月9日東京ドームにおける武藤vs高田戦は、この試合による高田の格上げがなければ実現していない筈だ。

北尾に限らずだが、相撲取りの寿命の短さは凄いものがある。ちゃんこ鍋に入っている塩分だって、健康に悪い量だろうし。このままじゃ、角界志望者の若手がいなくなるよ。北尾光司に合掌。
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2018年12月07日

さらばダイナマイトキッド

ダイナマイトキッドが亡くなった。60歳の若さでだ。

たまごどんが持つキッドの印象は、タイガーマスク戦で見せたハードバンプだ。受け身を忘れたかのようなダイビングヘッドバットで、爆弾小僧という名前がピッタリだった。タイガーマスクも絞れていたが、ダイナマイトキットだって鍛えられた肉体とスピードで、佐山タイガーの動きに合わせていた。佐山の動きに付いてこれなくて、試合後半になるとマスク剥ぎでお茶を濁していた小林邦昭とはモノが違っていた。

彼のプロレス歴には、どうしてもステロイドの話に触れなくてはならない。ムキムキになったキッドはステロイドの副作用で心臓肥大で倒れ、ハードバンプによる頸のダメージで歩行不能となり、40を前に車椅子生活となった。プロレス仲間にも自分の連絡先を教えずに過ごしていたようだ。キッドは2001年に出版した自伝で、自身のステロイド使用をカミングアウトした。

彼のような「太く短く」を選ぶのもいいだろうが、車椅子生活を送ったダイナマイトキッドを知ってからにしてほしいな。たまごどんは「ステロイド。ダメ、絶対。」派です。
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2018年07月17日

マサさん、さようなら

プロレスラーのマサ斎藤が亡くなったという。享年75歳。パーキンソン病の闘病のために引退式をしたのは記憶しているが、カムバックをプランしていたとは知らなかった。

といっても、現役時代のマサさんの記憶はあまりない。蝶野がSTFを始めた頃に、「マサ斎藤の監獄ロックみたいだな」とプロレス仲間が言ったのをキッカケに、監獄固めの入り方を調べたことは覚えているが。というわけで、アントニオ猪木と戦った時間無制限ノーレフェリー無観客マッチ「巌流島の戦い」も、かなり後に紙面を通して知っただけだ。たまごどんにとってのマサさんは、新日のドーム大会のオープニングに、英語で開幕宣言するレスラーだった。

たまごどんにとってマサ斎藤のライバルは、アナウンス席でやりあった辻アナだろう。大仁田vs真鍋アナと同じく、マサ斎藤vs辻アナも面白かった。

「おーっと、これは受け身をとっていない!!」
「ちゃんととっています」
「受け身を取れない危険な状況!」
「だから、ちゃんととっていますって!」

「腕が完全に伸びたぁ〜」
「まだ伸びていません」

「今日のベイダ−はどうですか、マサさん!」
「ああ、ホワイトですか」

アメリカの刑務所にぶち込まれた経験を持つ、カルピスが大好きなムキムキレスラー、それがマサ斎藤だ。故人に合掌。
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2018年04月24日

馬場元子さんが亡くなった

馬場元子さんが亡くなった。彼女はジャイアント馬場の奥さんで、プロレスファンの間ではかなりの有名人だった。まずはジャイアント馬場さんに対する献身について触れておこう。アメリカ遠征中のプロレスラー・ジャイアント馬場と婚約し、長い間内縁の妻だった。これは人気者のジャイアント馬場が結婚していたらイメージダウンだという判断からのようだ。

全日本プロレスの旗揚げ時に、馬場さんは元子さんの実家からかなりの資金援助を受け取っている。TV局がバックについた全日本は経済的に安定していたように思えたが、大物外国人の招聘などで持ち出しも多かったようだ。元子さんからの資金協力が無かったら、全日本プロレスは潰れていたかもしれない。

ここからは彼女の負のイメージについて触れよう。全日本プロレスが最も輝いた四天王プロレス時代のグッズ販売を、元子さんは独占した。1990年にジャイアント馬場さんが亡くなり、全日本は三沢を社長として再生のスタートを切った。三沢は改革をしたかったが、元子さんの反対により頓挫してしまう。元子さんは全日本プロレスの大株主でもあったのだ。元子さんと三沢との確執が、プロレス団体ノアを生むことになる。元子さんを毛嫌いするレスラーは多く、元子さんも馬場さんを裏切ったレスラーを許すことはなかった。SWSを旗揚げした天龍や、ノアを旗揚げした三沢はその代表格だ。

良くも悪くも、元子夫人は昭和プロレスの具現者だったように思う。天国で馬場さんと再会できただろうか。故人に合掌。
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2017年09月04日

高山善廣は頸髄完全損傷だった

プロレスラー高山善廣の怪我についてはすでに記事にしているが、怪我の状況は最悪だったようだ。彼には首から下の感覚がない。負傷当初に付いていた「頸髄損傷および変形性頸椎症」という診断名は、現在では「頸髄完全損傷」と名前を変えた。完全の意味は、回復しないということだ。この怪我をした有名人に、スーパーマンを演じたクリストファー・リーヴがいる。彼は落馬によって首から下が麻痺してしまった。

高山がそれほどの大怪我を負った技は、通常の回転エビ固めだったようだ。プロレス技は危険を伴うということなのだろう。レスラーは保険への加入がまず認められない。要するに、怪我をしたレスラーは経済的に困窮することになる。

かつてのタッグパートナー・小橋は高山にエールを送り、丸藤や秋山、さらにプヲタで有名なハチミツ二郎も協力を約束した。高山の親友である鈴木みのるは、高田や前田に高山への支援を呼びかけている。


たまごどんは具体的な行動をまだ起こしていないので気が引けるが、高山を経済的に支援されたい方に、情報を記しておきます。

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高山が主戦場としていたDDTの高木三四郎社長は、高山を支援する「TAKAYAMANIA」を立ち上げ、各団体に呼びかけて試合会場に募金箱を設置、応援グッズ販売、高山プロデュースによるプロレス興行などを行うことを発表。活動の収益はすべて高山の治療費に充てられるという。また、募金の振込も呼びかけられた。振込先は以下の通り。

【銀行振込】東京三菱UFJ銀行代々木上原支店  (店番号)137  (口座番号)普通預金0057767  (口座名義)株式会社高山堂

【問い合わせ】takayamania.staff@gmail.com
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高山

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2017年06月24日

ミスター・ポーゴの死

ミスター・ポーゴこと関川哲夫が亡くなったという。享年66才。死因は腰の手術の際に血圧が低下し、脳梗塞を発症したことによる。

ミスター・ポーゴの試合をたまごどんが見たのは、週刊プロレスが主催した東京ドームでの夢の架け橋だった。当時のプロレス団体が1試合ずつ自分の持っている最高のカードを提供するという形式で、まさにオールスターだった。ターザン山本が週プロ編集長として全盛期だった頃の話だ。カードを記しておこう。

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1995.04.02
『夢の架け橋』

1.JWP女子プロレス「プロレスの神様ありがとう」8人タッグマッチ
○関西、福岡、C.奥津、能智(ダイハード関西、17:29)尾崎、C.鈴木、矢樹、D.雅美●

2.LLPW「レディース・アルティメット・ファイト」
○神取忍(三角絞め、1:12)ハーレー斉藤●
※レフェリー角田信朗、準VTルール

3.全日本女子プロレス「全女GREATEST4★プレミアム」
○アジャ・コング、井上京子(体固め、17:40)ブリザードYuki、豊田真奈美●
※北斗晶試合後に乱入。

4.剛軍団「エイリアン・デスマッチ」
○剛竜馬(片エビ固め、15:11)宇宙魔神シルバー勝

5.IWA JAPAN
「バーブワイヤーボード・スーパースクランブル・バンクハウス6人タッグデスマッチ」
○中牧昭二、T.ファンク、L.フェイス (横入り式エビ固め、18:28)C.ジャック、ヘッドハンターA、B●

6.パンクラス「シングルマッチ」
○鈴木みのる(ヒールホールド、1:50)C.デヴィーバー●

7.藤原組「藤原組ライバル対決」
○石川雄規、藤原喜明(三角絞め、16:30)ドン・荒川、カール・グレコ●

8.みちのくプロレス「みちのく・ザ・ベスト'95」
○S.デルフィン、愚乱・浪花、T.みちのく (デルフィン・クラッチ、22:25)G.サスケ、SATO、獅龍●

9.リングス「クリス・ドールマン日本引退試合第1弾」
○前田日明(ヒールホールド、5:26)クリス・ドールマン●

10.UWFインターナショナル「スペシャル・シックスメン・バウト」
○高田、垣原、B.スコット (腕ひしぎ逆十字固め、15:17)G.オブライト、山崎、J.ライディック●

*大木金太郎引退セレモニー

11.FMW「忍邪憧夢絵巻〜究極邪道対決・最終章」
ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ
○グレート・ニタ(体固め、13:59)ポーゴ大王●

12.全日本プロレス「4・2ドーム特別試合」
△三沢、小橋健、S.ハンセン(時間切れ引き分け)川田、田上、J.エース△

13.新日本プロレス「NEW JAPAN CLIMAX」
○橋本(体固め、15:56)蝶野●
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たまごどんがこの時の東京ドーム興行で覚えていることは、剛竜馬に対する6万人のバカコール、前田の登場でドームが縦揺れしたこと、大木金太郎の引退セレモニーで隣の若い男性が「キム・イルー!」と何度も叫んだこと、全日が完全に新日のメインを食ったことだ。ちょっと話がそれたな。FMWの試合にフォーカスしよう。

たまごどんはFMWの電流爆破を見たことがなかったので、夢の架け橋でのこの試合を楽しみにしていた。大仁田の相手はポーゴだから、電流爆破を盛大に決めてくれるだろう。ところが、爆破は実にショボかった。後で分かったことだが、消防法の関係で電流爆破の規模が大幅に縮小されたそうだ。だったらポーゴの盛大な火炎噴射を期待するところだが、それも同じく消防法でダメだったらしい。試合は、鎖鎌を構えたポーゴと、グレート・ニタに扮した膝の悪い大仁田とが、ドームの一角でショボく絡み合うという、なんともマヌケなものだった。まあいい、次は全日四天王プロレスだ。お前ら邪魔だから早くどけ。

ところがよぉ、ポーゴは帰ったというのに大仁田がリングに居座るんだよぉ。バカ、お前が掃けなきゃ三沢や小橋や川田が出てこれないじゃないか。会場のアチコチで自然発生するブーイング。三沢三沢三沢三沢ヮアア〜〜!川田川田川田川田ダァアアア〜〜!!それでも居座る大仁田。マイクを持って絞り出したのが「邪道見参」。死ね。

実はポーゴの試合は多分これしか見ていない。彼の情報は当時隅から隅まで読み尽くした週プロから得たものだ。彼の経歴を読むと、真の放浪ってのが分かるな。なおポーゴの由来は、先輩レスラーのグレート東郷にあやかったミスター・トーゴーの誤記からなんだそうだ。彼はW★ING(これでウィングと読む)やその後継のW★INGプロモーションに所属して、デスマッチ路線に自分の道を見出した。彼の話には金の話がわんさか出て来るが、プエルトリコで生き抜いてきたレスラーなんだから当然かも知れない。大仁田とは金で結ばれ、金が原因で去っていった。

ミスター・ポーゴと友達にはなりたくないが、傍で見ている分には面白い。ある意味、プロレスラーらしい生き様だったのかねえ。ミスター・ポーゴに合掌。

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