プロレス

2022年06月15日

武藤の引退

武藤敬司がプロレス界から引退することを発表した。もう彼の膝はボロボロだし、引退は仕方ないだろう。

武藤は三沢についても語っていたようだ。武藤は1995年10月9日の高田延彦戦に勝利してくれた。あの試合のドラゴンスクリューは、真剣勝負での凄みがあった。武藤が勝利した瞬間、隣に座っていたお姉さんとハグしてしまったアマじょっぱい思い出については語っていなかったかな?

三沢vs武藤戦を観たかったかと言われると、「そりゃ観に行っただろうけど」である。三冠戦での三沢vs小橋戦と、団体頂上決戦の武藤vs高田戦は、方向性が全く違っていたと思うのだ。

写真は、髪フサの武藤敬司にした。武藤よ、お疲れ様。
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2022年06月13日

6月13日は、はやぶさの日でもあるが、やはり三沢の命日だ

はやぶさ2のまとめビデオを見て、少しウルっときてしまった。6/13ははやぶさの日なのだな、覚えておくことにする。


https://www.hayabusa2.jaxa.jp/topics/20220613_movie/

そして今日は三沢光晴の命日でもある。もう13年前のことだ。しかしたまごどんは、ふとした拍子に三沢のことを思い出してしまうのだ。たまごどんが行く!の2009年6月13日「三沢光晴の死」と、7月5日「三沢のお別れ会」のリンクを貼っておこう。






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2022年05月30日

ターザン後藤が亡くなった

元プロレスラーのターザン後藤が亡くなった。まだ58歳だという。

たまごどんがカバーしてなかった団体がFMWなんで、ターザン後藤との接点はほとんどない。元週刊プロレス編集長のターザン山本とは思い出が多いんだけどな。

にしても、FMWメンバーは訃報だらけだな。ハヤブサ、荒井社長、ポーゴ、非道、保坂、そしてターザン後藤だ。やっぱり大仁田と関わった人は幸せになれないんだろう。故人に合掌。

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2022年05月02日

健之介の結婚

佐々木健介と北斗晶の長男である佐々木健之助が結婚した。彼の結婚相手は、門倉凛という女子プロレスラーだ。

健介と北斗は猪木主催の北朝鮮平和の祭典がきっかけで結婚した。この北朝鮮興行は1995年4月28日と29日で合計38万人の観客がきたという。猪木の仕掛けの中でも特大クラスのものだ。「プロレスでは殴ることは禁止されています」と聞かされていた北朝鮮市民は、お構いなしに殴る猪木に歓声を上げる訳でもなく、ただただザワついていた。「あれはいいニカ?聞いていた話と違うニダ」。新日本プロレスはこの興行でまたまた借金を作ったみたいだけど、プロレス界のビッグカップルを誕生させた功績は大きい。

北斗の実家に健介が挨拶に行く様子は、「リングの魂」というプロレスバラエティ番組で放送されており、たまごどんは面白がって観た記憶がある。チャコちゃん(北斗晶の呼び名)の実家は埼玉の田舎で、健介は自分のゴツい車で婚約者の実家に向かい、チャコちゃんの家族にカチコチの挨拶をしていた。このカップルがその後TVバラエティで大活躍するなんてことは、たまごどんは想像できなかったなあ。

北斗が妊娠したというニュースに、たまごどんの周辺のプロレスファンは、「どんなプロレスラーになるんだろう」と話し合ったものだ。男女のどちらかはともかく、二人の子供がプロレスラーになることは宿命だろうと確信していた。1998年に誕生した赤ちゃんは男の子で、命名された彼の名前は佐々木健之介だった。おいおい、親父の名前そのままじゃねーか!

あれから23年も経ったことになる。健之介はプロレスラーにこそなっていないが、仲良し家族の一員として元気に成長し、姐さん女房となる女子プロレスラーを嫁にした。誕生から結婚に至るまでの成長を知っている人なんて、自分の甥っ子や姪っ子くらいじゃないかなあ。

おめでとう、佐々木健之介さん!
佐々木健之介
門倉凛

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2022年01月06日

ストロング小林にさようなら

プロレスラーのストロング小林が逝った。享年81歳。

たまごどんはストロング小林よりも、風雲たけし城で登場するお笑いタレントのストロング金剛として認識していた。たまごどんはタイガーマスクとか長州力によってプロレスを知ったため、ストロング小林とはすれ違ったことになる。

しかし、彼とたまごどんには接点が一回だけあった。しかもストロング金剛さんは全く関与していない。たまごどんの中学時代、教室でのことだ。

「たまごどん、お前は誰かに似ているよなあ。」
「そんなこと初めて言われたよ。誰だい?」
「分かった、ストロング金剛だ!特にホリの深いとこ。」

いやそんなドヤ顔で言われても。なんて返せばいいのさ。
当時のたまごどんはストロング金剛に似ていた気もするし、年を経て益々似てきた気もする。

故人に合掌。

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2021年09月25日

LLPWの風間ルミが亡くなった

LLPWの風間ルミ元社長が亡くなったそうだ。享年55歳。死因は分からないが、孤独死だったようだ。

LLPWの美人レスラーということになっていたが、神取忍とかジャッキー佐藤とか遠藤美月とか、正直どうすんのコレというメンツの中での美人レスラーだったので、当時からチンピクゼロという感じだった。時代が団体対抗戦に移って、北斗晶vs神取忍という名勝負もあったけどな。

風間ルミはAVにも出演していたが、男優さんは凄いなという印象しかないな。興味のある方はググってみて下さい。

たまごどんと年の離れていない人の訃報もチラチラと入るようになってしまった。故人に合掌。
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2021年06月13日

燃える闘魂・病魔編

アントニオ猪木の闘病生活を取り上げることにした。もちろん彼自身が公表していることなので、いつ取り上げてもよかったのだが、何となく憚ってきた。現役時代の外傷の数々も、彼の内臓疾患も、たまごどんは少しは知っている。現役の時に血糖値が596 mg/dlだったんだよな。記事では590mg/dlとなっていたけど。

2020年に「心アミロイドーシス」という難病におかされていることを猪木は告白している。全身が病魔との闘いとなっているようだ。それでも、ちょっと前の動画ではメロンを食べて元気そうだった。



しかし、今日は腸が剥がれたということで再入院となったようだ。やっぱりその時は近づいているんだろう。自分の老いや病身を隠すことなく、ファンに全てをさらけ出すアントニオ猪木が、たまごどんは好きだ。大仁田とは違う本物感が半端ない。

猪木のXデー原稿は準備されているんだろう。だが猪木だったら「そんなこと、どうってことねえよ!」と言ってくれる気がする。彼はプロレス界のアイコンであり、プロレスの枠を超えた、史上最大のトリックスターがアントニオ猪木なのだ。アントンハイセル、国会に卍固め、北朝鮮や永久機関への入れ込み、そして異種格闘技戦の成功やIWGP構想、そして数多くのプロレスギミック。

凄い男だよなあ。



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2021年05月06日

FMWEの旗揚げ

今日見つけたニュースがこれ。大仁田厚がFMWEを旗揚げするという。



FMWはフロンティア マーシャルアーツ レスリング(Frontier Martial-arts Wrestling)のことで、1989年に大仁田が旗揚げした団体だ。荒井社長の自殺によってFMWは2002年に崩壊したというのがたまごどんの認識なんだけど、調べてみるとターザン後藤がFMWの再旗揚げをしたり、WMF、アパッチ、FREEDOMSなどの団体が出来ていたりとややこしい。超戦闘プロレスFMWというのが2015年旗揚げで、これがもっとも新しいようだ。そこの公式サイトもあったが、故人であるハヤブサが選手紹介にあるのは意図的なんだろうか。

ちょっと話がそれた。新団体FMWEのEはExplosion(爆発)を意味するそうだ。FMWEでは大仁田も選手として参加するのかは記事では分からなかったが、ま、たぶんプロレスラーに復帰なんでしょう。大仁田は63歳らしいが、電流爆破を受ける覚悟さえ出来ていれば、有刺鉄線に体を投げ出せばいい。それだけで、何度目になるかは知らないが、プロレスラー大仁田の復活劇は成功する。

>また、共同代表にはスタジアム等のグラウンドの設計、施工、維持管理を手掛ける「コウフ・フィールド株式会社」のオーナー経営者・加治木秀隆氏が就任する。

過去の例では、大仁田の周りに居る人間は幸せにはなれなかった。荒井社長しかり、ハヤブサしかり。加治木氏は大仁田に運気を吸われないように注意してほしい。

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2020年10月31日

水プラズマだぞ、ダッ〜〜!!

アントニオ猪木が久しぶりにやってくれた。



水プラズマで廃棄物処理というのは九州大の渡辺隆之教授の発想らしく、猪木はそのTV特集を観て感銘を受けて教授に連絡したのが始まりだそうだ。だからといって、猪木がその他大勢の支援者かというとそうでもなさそうで、渡辺研究室のHPにはアントニオ猪木の名前が並んでいる。研究室から実用化へと進めるには、研究を世に広める必要があり、その役割をアントニオ猪木が引き受けているという図式のようだ。

ゴミを燃やすと二酸化炭素が生成するが、プラズマで高温処理すると二酸化炭素が分解されるのか、その化学反応時間も与えないのかは分からないが、二酸化炭素は生成せずに水素が生成するんだそうだ。

水プラズマの公開実験は完璧だったらしく、猪木も渡辺教授もご満悦だったらしい。しかし、プラズマで蒸発したアルミは、冷えたらどうなるんだろう。この実験は、アルミがゴミに含まれていても問題ないんですよといいたいのかな?

ゴミの山をこの水プラズマ処理機で処理するとして、コスト的にペイするのか、ゴミの分別はどこまで必要なのかとか、色々と疑問はある。でもまあ、そこを考えるのは教授であり、実業家だろう。アントニオ猪木は衆目を集めるための広告塔であり、たまごどんのアンテナも彼だから反応したのだ。

今後の工業化実験に期待したい。

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2020年07月29日

2009年6月13日からの三沢光晴を読んだ

2009年6月13日からの三沢光晴(長谷川晶一 主婦の友社)を読んだ。この本とは、市立図書館で偶然に出会った。背表紙だけで、たまごどんが読まなくてはならない本だと分かった。

正直に言おう、この本を読んでたまごどんは涙が止まらなかった。50近いオヤジが読んで泣いてしまう本というのは滅多にない。この本はその滅多にない本だった。

プロレス興行が成立するためには、選手やレフリー、団体の裏方、プロレスジャーナリストが必要だ。2009年6月13日の広島グリーンアリーナNOAH大会もそうだった。その日のメインイベントは齋藤彰俊&バイソンスミス組 vs 潮崎豪&三沢光晴組。週刊プロレスの記者やカメラマンが広島に現地入りし、三沢の付き人だった鈴木鼓太郎も三沢の買い出しを行っていた。いつもの、なんてことのない日常。

この本は三沢最期の1日から始まっている。三沢の生い立ちや、当時の慢性的な体調不良のこと、それでも休むに休めないNOAHの事情のことが読者に説明されながら、焦点はメインイベントに収斂していく。齋藤彰俊が放った三沢へのバックドロップで、事態は急変する。三沢が動かないのだ!三沢はしばらく意識があり、西永レフリーは試合を止めろという三沢の意思表示を聞いている。西永レフリーはすぐに試合を止め、斎藤&バイソン組の勝利を称えた。直ちにリングドクターがリングに上げられ、三沢の蘇生処置が施された。落合カメラマンは撮影を逡巡する。異常事態であることはすぐに悟った。俺は、三沢という友人が苦しんでいるこの状況を撮影するべきなのか?

この本が書かれる前に、NOAHの全面協力のもとで、関係者への取材が行われている。取材の窓口は、当時の週刊プロレス編集長だった佐久間一彦氏が担当した。しかし本を読めばわかるが、この本の実質的な主役は佐久間氏だ。彼は自問する。「なぜ自分は、あの現場に居なかったのか」。

佐久間氏は訃報を受けてから、週刊プロレスの通常号と増刊号を作り上げるために奮闘する。本文から引用しよう。

>三沢が亡くなってからの四日間、自宅にも戻らず、ゆっくりと眠ることもできなかった。肉体的には過酷な日々だったものの、佐久間の中にある「三沢さんのためにいいものを作りたい」という思いが原動力となっていた。(p142)

舞台は6年後に移る。当時の関係者もそれぞれの人生を歩んでいた。佐久間氏もベースボールマガジン社を退社した。リングドクターを務めた武田氏も二宮氏も、結婚されたり病院経営に奔走している。選手会長だった森嶋も引退し、潮崎と鼓太郎は全日に移籍した。けれども彼らは三沢の思い出と感謝を語った。そして齋藤彰俊も。

佐久間氏と齋藤彰俊との会話に、たまごどんの涙腺は決壊した。長くなるが引用しよう。
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「あのときの『週刊プロレス』はご覧になりましたか?」
齋藤はすぐに答える。
「見たと思います。」
ここから、佐久間の「独白」が始まる。
「あのとき、僕が編集長でした。あの場面の写真を使うかどうか、会社から一任されました。僕はあの日、会場には行っていません。でも、写真を見る限り、”原因はこれじゃない”と判断しました。だから、誌面に掲載しました。それによって読者がどう判断するのか、僕にはわかりませんでした。でも、少なくともプロレスをずっと見てきた人なら、あのバックドロップが特別に危険なものではないとわかると思いました。あのとき、斎藤さんはクラッチを外していましたよね?」
「はい」
「ロックしたまま投げる方が明らかにリスキーだったのに、齋藤さんはクラッチを外していました」
「そうなんです。そうおっしゃっていただけると本当に助かります。クラッチを組んだままあの角度で投げると、すべての衝撃が首に行くんです」
「受け身が取れないですからね」
「そうです。それをわからない方は、”クラッチが外れたのは明らかに齋藤のミスだ”と言う人もいました。それに対して反論はしませんでしたけど、今、そうおっしゃっていただいて…」
六年分の思いを込めて佐久間が答える。
「個人的な問題なのですが、この六年間、”掲載したことははたしてよかったのか?”。この思いはずっと結論を出せずにいたんです…」
齋藤もまた万感の思いを込めて答える。
「はい。”いつもと変わらないバックドロップだった”と書いて下さって、本当に助かりました。佐久間さんを含めて、いろいろな方がすごく好意的にして下さったことは、本当に感謝しかありません。どうもありがとうございました」
思わず涙が込み上げてくる。ぐっとこらえたものの、喜びとも安堵とも違う、それまでに感じたことのない不思議な感情が佐久間を襲った。
六年間の胸のつかえが、ようやく取れた気がしたー。(pp.234-236)
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たまごどんが好きなものは、野球、寿司、北朝鮮ニュース、選挙速報、将棋、囲碁、酒、プロレス、国際情勢などなど。自前のアンテナに引っかかったことを取り上げます。滋賀で子育てに勤しむ一児のパパ。
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