相撲

2019年09月18日

元逆鉾の井筒親方が亡くなった

昨日のNHKニュースで逆鉾が亡くなったと聞いて、たまごどんは「え!?」と声を出してしまった。記事によると膵臓ガンだったという。享年58歳。

逆鉾はたまごどんが最も相撲を見ていた中学・高校時代に活躍した力士で、三役と三賞の常連だった。記事によると、関脇は9場所連続で務め、殊勲賞5回と技能賞4回だそうだ。技能賞が多いイメージだったけど、人の記憶は当てにならない。外掛けや押しも強かったが、代名詞となった逆鉾の技はもろ差し。もろ差し名人と言われた鶴ケ嶺の息子だけあって、見事な技だった。スパンッと巻き変えが決まるんだよねえ。

逆鉾は土俵で喜ばないことで有名だった。これは隆の里戦で、外掛けで勝った逆鉾が土俵上でガッツポーズをして、親方衆からえらく怒られたことから意識的にそう振る舞っていたらしい。

土俵人気は千代の富士や弟の寺尾に完敗していたが、たまごどんはドロンパ逆鉾が好きだった。なお、ドロンパ逆鉾の命名者はデーモン小暮閣下。好角家として知られている閣下は、オールナイトニッポンの「大徹頑張って」のコーナーで逆鉾の渾名を決めたのだ。たまごどんは今でも、なかなかに彼の特徴を掴んだ渾名だと思っている。

「勝ち越せはそれでいい」という考えだったようで出世欲があまりなく、体も力士としては小柄だったためか、大関になることはなかった。金星7個も関脇時代が長かったことによる副産物だ。弟の寺尾と兄弟で三役となったときは、先代井筒親方が凄く喜んでいたのが印象的だった。

それにしても58歳か‥。相撲取りが短命ということは事実だな。北の湖(62歳)、千代の富士(61歳)、柏戸(58歳)、双羽黒(55歳)。太く短くも魅力的だが、もうちょっとなんとかしないと、新弟子が来なくなるよ。
さようなら、逆鉾関。

写真は先代井筒親方を担ぐ三兄弟です。
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2018年10月10日

輪島の死

幕内優勝を14回果たした名横綱である輪島が亡くなった。享年70歳。デーモン小暮閣下の最も愛する力士であり、左下手投げを武器に、北の湖と共に輪湖時代を築いた男である。

しかしたまごどんは横綱輪島の全盛期をよく知らない。輪島の引退は81年で、たまごどんが大相撲に目覚めるのはもう少し経ってからだ。北の湖は彼の最後の全勝優勝を記憶しているんだが。たまごどんが輪島を意識したのは、年寄株問題で相撲界から追放されたニュースであり、ジャイアント馬場に拾われて全日本プロレスに入門してからよく見るようになった。トップロープによたよたと登る輪島は実にカッコ悪かった。

当時のプロレス漫画のプロレス・スターウォーズは、クラッシャー・バンバン・ビガロと輪島大士との一騎打ちがかなり長く連載していた。吉田聡のちょっとヨロシク!では、体操が得意な体育教師役として輪島が登場していた。なんだかんだ言いながら、輪島のゴールデンアームボンバーはたまごどんも気に入っているプロレス技の一つだ。このエントリのカテゴリは、「訃報」「相撲」「プロレス」の3つが正しいと思うが、2つまでしか入らない仕様なのだから仕方ない。

プロレスもいつの間にかフェードアウトした輪島は、とんねるずの番組に出演するようになるのだが、その辺りからはTVを見てないのでよく分からない。輪島さんは豪快な人生を駆け抜けたと思う。故人に合掌。

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2017年11月29日

日馬富士の引退

貴ノ岩への暴行問題によって、日馬富士が引退することになった。これで幕引きなんだろうなあ。

年末のRIZINに日馬富士をリングに上げることが出来たら、そのインパクトは絶大だ。ワンマッチ契約で2億は積んでいいと思うけどな。

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2017年10月21日

たまごどん的最弱の大関は

二所ノ関親方こと若嶋津は、とりあえずは命に別状がないようだ。彼はサウナでも倒れていて、そこからの帰宅途中で事故をしたらしい。まずはホッとした。

若嶋津をこんなことで取り上げることになるとは思っていなかったが、たまごどんは若嶋津関には思い出がある。いつかは書こうと思いつつ、キッカケが無いまま延び延びになっていた現役時代の若嶋津のことを書くことにしよう。

当時の若嶋津は「誰ととっても大相撲」というキャッチコピーの人気力士で、南海の黒豹(若嶋津は鹿児島出身)と呼ばれていた。体型がソッポ型で、もともと食が細く太りにくい体質だったようだ。最盛期でも130kgくらいじゃなかったかなあ。。当時の大関陣は朝潮、琴風、北天佑、若嶋津といった面々だ。他の大関には型がある(朝潮はぶちかまし、琴風はがぶり寄り、北天佑は上手投げ)のに、若嶋津にはない。そのために勝味が遅く、得意技が下手投げと、大関にしてはなんとも締まらない相撲だった。巨漢力士は苦手にしていて、琴風や小錦にはほとんど勝っていない。引退間近の頃は、38トリオ(双羽黒、北勝海、大乃国)にも全く歯が立たなかった。

多賀竜が平幕12枚目で優勝をしたときに、多賀竜と若嶋津との取組となった。この取組の裏事情が面白いので、ここから引用しておこう。

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昭和59年9月場所
この場所の優勝争いは13日目の時点で1敗で西前頭12枚目・多賀竜が先頭に立ち、2敗で東大関・若嶋津と西前頭6枚目・小錦が追う展開となっていた。本来であれば14日目に若嶋津は東張出横綱・千代の富士と対戦するはずだったが、2人の平幕力士が優勝争いをしていたことで当時の審判部を悩ませた。その理由として、以下の5点が挙げられた:

平幕で優勝争いをしている力士は、番付の位置に関係なく大関以上との対戦が必要だった。
若嶋津が優勝した3月場所と7月場所は、千代の富士が休場しており対戦がなかった。その間の5月場所では若嶋津は千代の富士に完敗している。従って千代の富士対若嶋津の対戦は若嶋津の横綱昇進を判断する上でも必要だった。
若嶋津は小錦に敗れており、優勝争いの点でも1敗の多賀竜との対戦は必要だった。
小錦は横綱隆の里を下しており、優勝争いを考えると千代の富士戦は必要だった。
千秋楽の横綱対決(隆の里対千代の富士)は外すことができない。

※結局14日目に組まれた割は多賀竜対若嶋津と、小錦対千代の富士であった。千秋楽結びの一番は隆の里対千代の富士が組まれたことによって若嶋津にとって唯一の対横綱戦である千代の富士戦がなくなってしまった。これにより横綱昇進を判断する材料を協会自ら消したのではないかと、相撲協会の取組編成のやり方が当時問題視されたが、結果的に若嶋津は多賀竜に敗れて3敗となり、優勝も横綱昇進も逃した。
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当時のたまごどんはこのときの取組を見て、若嶋津なら今の多賀竜の方が強いだろうと感じた。本人は一生懸命に筋肉と体重を増やそうと特製プロテインを飲んだりしていたが、糖尿にかかってからは精彩が全く無くなってしまった。という訳で、たまごどん的最弱大関は若嶋津です。八百長の中盆だった板井が「若嶋津を横綱にしようと頑張ったんだが、弱すぎてダメだった」と自書に書いていたと記憶している。たぶん、この告白は事実なんだろう。そうでないとあの弱かった若嶋津が横綱挑戦までたどり着けないように思うからだ。若嶋津に対するたまごどんの印象が悪いのも、引退直前まで星を返していたせいかもしれないな。

自分の体質に向いていない大相撲で大関まで登り、女優を奥さんに射止めて、名門の二所ノ関親方となった若嶋津は、幸せな相撲人生だったのかもしれないなあ。動画は若嶋津 vs 多賀竜です。


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2016年08月02日

さらば千代の富士

千代の富士貢が膵臓ガンのために亡くなった。享年61歳。ついこの前北の湖が亡くなってショックを受けたというのに、ウルフまでが亡くなったとは。このエントリでは昭和最後の大横綱の足跡を振り返ることにしよう。それと、週刊ポスト的大相撲史観による大相撲の八百長(注射)疑惑についても触れなくてはなるまい。

千代の富士は幕内最軽量になったこともある小柄な力士だが、その圧倒的なスピードと筋トレで培ったパワーで、出世街道を驀進した。大関は僅かに三場所で通過している。筋トレは左肩の脱臼対策だったが、結果的に千代の富士の力士寿命を大きく延ばすことに貢献した。頭を押さえつけての上手投げはウルフスペシャルと呼ばれ、立ち合いから前褌(マエミツ)を取るスピードは角界一だった。別格の強さだった北の湖と、千代の富士が唯一苦手にした隆の里が引退してからは、無敵を誇った。ここの対戦成績から、たまごどんチョイスで何人かピックアップしよう。改めて見ると凄い成績だな!

千代の富士 6-12 北の湖
千代の富士12-16 隆の里
千代の富士31-15 朝潮
千代の富士33-14 北天佑
千代の富士23−9 大乃国
千代の富士 8−6 双羽黒
千代の富士30−6 旭富士
千代の富士12−2 霧島

千代の富士は53連勝や通算1000勝超えという記録も打ち立て、国民栄誉賞にも選ばれることになる。

ここからは彼の負の側面を語ろう。週刊ポストが執念深く連載した大相撲の疑惑、すなわち注射だ。告発した板井によると、それに多く関与したとされる力士が千代の富士であるという。15日間の場所で、ガチ相撲は5−6番しかなかったこともあるそうだ。確かにさっきの対戦成績を見ても、ここまでの差はつかないだろうという気もする。

注射は、強い側の力士が「負けてくれ」とお願いするのが最も成立しやすい。負ける側にしてみれば、どうせ負けるなら少しでも回収したいからだ。千代の富士はガチで強く、後援者や懸賞金で懐は常に温かかった。八百長に応じない力士には、土俵上で制裁する力と技も兼ね備えていた。土俵に思いっきり叩きつけた寺尾戦は、千代の富士の制裁だったというのが、週刊ポスト的大相撲の見方だ。

彼の53連勝を止めたのは大乃国である。彼はガチ相撲で横綱にまで登り詰めた、週刊ポスト的大相撲史観では奇跡の横綱だ。彼が千代の富士を止めなかったら、連勝はおそらく双葉山の69連勝を超えただろうと言われている。


たまごどんは板井や大鳴門親方の命がけの告発が事実であることを疑っていないが、ガチ相撲ばかりで怪我人続出の場所になるのもいかがなものかと感じている。千代の富士は筋肉質の肉体で女性ファンを増やし、スピード相撲で玄人衆を唸らせ、横綱の座を狙う小錦を筆頭とした外国人力士を返り討ちにし、現役最後の場所で、横綱の器と認めた貴花田に王者のバトンを渡した。これ以上ない覇者の交代劇だった。

さようなら千代の富士。

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2015年11月21日

北の湖敏満の死

大横綱の北の湖親方が亡くなった。たまごどんのヒーローだったあの北の湖がもう居ないというのが、今でも信じられない。

たま子がパソコンでアンパンマンを見ているので、明日詳しく書きます。

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(という訳で、続き)
相撲を見始めたのが小学生の頃なので、たまごどんは北の湖時代をかろうじで知っている。ライバルの輪島の方は、プロレスラーとしてよく見ることになるのだが、それはまた別の話だ。巻き替えが上手で、一度自分の型になるとまず負けなかった。北の湖は「憎らしいほど強い」と言われた大横綱であるが、後年はケガのために休場を繰り返し、千代の富士や隆の里への世代交代を許してしまった。

北の湖をモデルにした漫画キャラが、Gu-Gu ガンモに出て来たとしみつくんだ。主人公の半平太が通う小学校の番長で、「ふん!ふん!」と息巻きつつも潔癖症という設定だった。彼のライバルにみつぐくんというキャラも出てくる。こっちのモデルはもちろん千代の富士貢だ。
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たまごどんが中学生のときに、北の湖が男を見せる。1984年(昭和59年)の五月場所、北の湖は復活の全勝優勝を果たすのだ。13日目に弟弟子の北天祐が隆の里を破って北の湖の優勝が決まると、北天祐が北の湖に微笑み、それに北の湖が微笑み返す有名なシーンがある。男だねえ、北天祐!


北の湖は逸話も多い。自分の取り口は全て記憶していたらしく、「○年の△場所での××とは、こんな内容で、決まり手はこうだった」とすらすら答えたそうだ。酒豪としても有名で、成人の日に「これからは酒を控える」とコメントしたと聞く。Wikiには「酒を辞める」になっていたけど、たまごどんの記憶違いかな?Wikiには書かれてなかったが、彼は人前で歌うことが大嫌いだったそうだ。

北の湖のエピソードを楽しく書いてしまったが、彼はもうこの世にいない。62歳というのはあまりにも早すぎるように思う。八百長問題に大揺れした当時の日本相撲協会理事長は激務だったんだろうなあ。合掌。

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2013年01月14日

初場所二日目の雪の日に、彼らは来た!

たまごどんが嫁さんの実家で相撲を見ていると、お義母さんが「あら!?高須院長が来ている!」と言われた。そっくりな人が出ているだけじゃないのかのなあ。
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本人だよ!!Σ(゚д゚;)
勢という四股名の関取が、高須クリニックの化粧回しだったのが伏線だったんだろうか。

もちろん、その横には
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おおっ、「毎日かあさん」の西原理恵子も居るわ。

「他にも有名人が居るんじゃない?」と嫁が言う。そんな、もうこの二人でお腹一杯っしょ。
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林家ペーが来ちょる!高須先生の一行とは関係ないようだし、パー子は見つからなかった。なぜこうなったのかはよく分からないが、とにかく珍発見だ。

NHK相撲中継が終わる6時まであと約1時間、このチャンスを見逃すな!



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2012年09月23日

日馬富士、横綱昇進おめでとう

実にいい相撲だった。日馬富士が白鵬を破った1分50秒の大相撲は、後後にも語られる名勝負になるだろうな。

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2012年05月20日

優勝は旭天鵬関

たまごどんは大相撲観戦が好きなので、今日は千秋楽をずっと見ていた。優勝する可能性があるのは11勝3敗の稀勢の里、栃煌山、旭天鵬、10勝4敗の白鵬と碧山と隠岐の海である。優勝力士は流石に3敗の中から決まるだろうが、どうなるのかね。

と思っていたら、栃煌山の対戦相手である琴欧洲が怪我のために休場し、栃煌山の不戦勝となっていた。そのため、4敗力士の優勝の可能性が消滅していた。ありゃりゃ、これは興行的にもどうなのよ。協会の方も頭を抱えていることだろうて。もっと早く休場が分かっていたら組み換えも可能だった筈だ。旭天鵬は豪栄道と、稀勢の里は把瑠都と対戦である。

旭天鵬は豪栄道に辛くも勝ち、たまごどんの注目の一番である稀勢の里vs把瑠都戦である。稀勢の里はどうみても先に落ちていた鶴竜戦で同体取り直しとなるなど、今場所は「稀勢の里になんとか優勝させたい」という思惑が透けて見えていた。ちょうど日韓共催ワールドカップにおける韓国戦を裁いた審判といえば分かるだろうか。でもたまごどんは思ったね、こりゃ把瑠都が勝っちゃうんじゃないかと。当たりで押し込んだ稀勢の里は勝利寸前だったけども、把瑠都のAKY(あえて空気読まない)上手投げで放り投げた。むむぅ、これは相撲協会の想定外でしょうな。

結局、決定戦は栃煌山と旭天鵬という、なんとも地味な一戦になってしまった。結果ははたき込みで旭天鵬の勝ち。37歳で初優勝した旭天鵬関は男泣きし、場内も少しウルウルしていた。

たまごどんとしては、横綱が崩れた時に大関が主役を奪わなくてどうすると思うなあ。終盤で大失速した稀勢の里に、たまごどんは喝!

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2012年02月13日

久嶋海よ、さようなら

元久嶋海の田子の浦親方が急死した。享年は46歳。

たまごどんはホイットニー・ヒューストンよりも久嶋海の方に思い入れがある。久嶋啓太は高校生の時にアマ横綱のタイトルを獲り、日大時代には学生横綱3連覇という業績がある。たまごどんもテレビで観たことがあるけど、なんというか、アマチュアの大会に一人だけプロが混じっているといった風情であって、少し興ざめしながら観戦した記憶がある。

プロになってからの久嶋改め久嶋海は、立ち会いの弱さと脇の甘さが光る、究極のイマイチ力士になってしまった。200キロ超えの巨体があるのに、それを生かしきることができず、得意技は小手投げ。水戸泉に似ていたかなあ。もっとも、彼はガチンコ力士で、注射とは無縁だったとも聞いている。そう考えると、久嶋海は立派な力士ということになるんかな?どうも同意し難いんだけどなあ。

親方になってからの久嶋海は食事に気を遣い、80kgもの減量に成功したようだ。それなのに今回の惨事である。今のところ彼の死因は不明だけど、その遠因に現役時代の肥満があることは間違いなさそうだ。故人に合掌。

久嶋海


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