2017年10月21日
たまごどん的最弱の大関は
二所ノ関親方こと若嶋津は、とりあえずは命に別状がないようだ。彼はサウナでも倒れていて、そこからの帰宅途中で事故をしたらしい。まずはホッとした。
若嶋津をこんなことで取り上げることになるとは思っていなかったが、たまごどんは若嶋津関には思い出がある。いつかは書こうと思いつつ、キッカケが無いまま延び延びになっていた現役時代の若嶋津のことを書くことにしよう。
当時の若嶋津は「誰ととっても大相撲」というキャッチコピーの人気力士で、南海の黒豹(若嶋津は鹿児島出身)と呼ばれていた。体型がソッポ型で、もともと食が細く太りにくい体質だったようだ。最盛期でも130kgくらいじゃなかったかなあ。。当時の大関陣は朝潮、琴風、北天佑、若嶋津といった面々だ。他の大関には型がある(朝潮はぶちかまし、琴風はがぶり寄り、北天佑は上手投げ)のに、若嶋津にはない。そのために勝味が遅く、得意技が下手投げと、大関にしてはなんとも締まらない相撲だった。巨漢力士は苦手にしていて、琴風や小錦にはほとんど勝っていない。引退間近の頃は、38トリオ(双羽黒、北勝海、大乃国)にも全く歯が立たなかった。
多賀竜が平幕12枚目で優勝をしたときに、多賀竜と若嶋津との取組となった。この取組の裏事情が面白いので、ここから引用しておこう。
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昭和59年9月場所
この場所の優勝争いは13日目の時点で1敗で西前頭12枚目・多賀竜が先頭に立ち、2敗で東大関・若嶋津と西前頭6枚目・小錦が追う展開となっていた。本来であれば14日目に若嶋津は東張出横綱・千代の富士と対戦するはずだったが、2人の平幕力士が優勝争いをしていたことで当時の審判部を悩ませた。その理由として、以下の5点が挙げられた:
平幕で優勝争いをしている力士は、番付の位置に関係なく大関以上との対戦が必要だった。
若嶋津が優勝した3月場所と7月場所は、千代の富士が休場しており対戦がなかった。その間の5月場所では若嶋津は千代の富士に完敗している。従って千代の富士対若嶋津の対戦は若嶋津の横綱昇進を判断する上でも必要だった。
若嶋津は小錦に敗れており、優勝争いの点でも1敗の多賀竜との対戦は必要だった。
小錦は横綱隆の里を下しており、優勝争いを考えると千代の富士戦は必要だった。
千秋楽の横綱対決(隆の里対千代の富士)は外すことができない。
※結局14日目に組まれた割は多賀竜対若嶋津と、小錦対千代の富士であった。千秋楽結びの一番は隆の里対千代の富士が組まれたことによって若嶋津にとって唯一の対横綱戦である千代の富士戦がなくなってしまった。これにより横綱昇進を判断する材料を協会自ら消したのではないかと、相撲協会の取組編成のやり方が当時問題視されたが、結果的に若嶋津は多賀竜に敗れて3敗となり、優勝も横綱昇進も逃した。
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当時のたまごどんはこのときの取組を見て、若嶋津なら今の多賀竜の方が強いだろうと感じた。本人は一生懸命に筋肉と体重を増やそうと特製プロテインを飲んだりしていたが、糖尿にかかってからは精彩が全く無くなってしまった。という訳で、たまごどん的最弱大関は若嶋津です。八百長の中盆だった板井が「若嶋津を横綱にしようと頑張ったんだが、弱すぎてダメだった」と自書に書いていたと記憶している。たぶん、この告白は事実なんだろう。そうでないとあの弱かった若嶋津が横綱挑戦までたどり着けないように思うからだ。若嶋津に対するたまごどんの印象が悪いのも、引退直前まで星を返していたせいかもしれないな。
自分の体質に向いていない大相撲で大関まで登り、女優を奥さんに射止めて、名門の二所ノ関親方となった若嶋津は、幸せな相撲人生だったのかもしれないなあ。動画は若嶋津 vs 多賀竜です。

若嶋津をこんなことで取り上げることになるとは思っていなかったが、たまごどんは若嶋津関には思い出がある。いつかは書こうと思いつつ、キッカケが無いまま延び延びになっていた現役時代の若嶋津のことを書くことにしよう。
当時の若嶋津は「誰ととっても大相撲」というキャッチコピーの人気力士で、南海の黒豹(若嶋津は鹿児島出身)と呼ばれていた。体型がソッポ型で、もともと食が細く太りにくい体質だったようだ。最盛期でも130kgくらいじゃなかったかなあ。。当時の大関陣は朝潮、琴風、北天佑、若嶋津といった面々だ。他の大関には型がある(朝潮はぶちかまし、琴風はがぶり寄り、北天佑は上手投げ)のに、若嶋津にはない。そのために勝味が遅く、得意技が下手投げと、大関にしてはなんとも締まらない相撲だった。巨漢力士は苦手にしていて、琴風や小錦にはほとんど勝っていない。引退間近の頃は、38トリオ(双羽黒、北勝海、大乃国)にも全く歯が立たなかった。
多賀竜が平幕12枚目で優勝をしたときに、多賀竜と若嶋津との取組となった。この取組の裏事情が面白いので、ここから引用しておこう。
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昭和59年9月場所
この場所の優勝争いは13日目の時点で1敗で西前頭12枚目・多賀竜が先頭に立ち、2敗で東大関・若嶋津と西前頭6枚目・小錦が追う展開となっていた。本来であれば14日目に若嶋津は東張出横綱・千代の富士と対戦するはずだったが、2人の平幕力士が優勝争いをしていたことで当時の審判部を悩ませた。その理由として、以下の5点が挙げられた:
平幕で優勝争いをしている力士は、番付の位置に関係なく大関以上との対戦が必要だった。
若嶋津が優勝した3月場所と7月場所は、千代の富士が休場しており対戦がなかった。その間の5月場所では若嶋津は千代の富士に完敗している。従って千代の富士対若嶋津の対戦は若嶋津の横綱昇進を判断する上でも必要だった。
若嶋津は小錦に敗れており、優勝争いの点でも1敗の多賀竜との対戦は必要だった。
小錦は横綱隆の里を下しており、優勝争いを考えると千代の富士戦は必要だった。
千秋楽の横綱対決(隆の里対千代の富士)は外すことができない。
※結局14日目に組まれた割は多賀竜対若嶋津と、小錦対千代の富士であった。千秋楽結びの一番は隆の里対千代の富士が組まれたことによって若嶋津にとって唯一の対横綱戦である千代の富士戦がなくなってしまった。これにより横綱昇進を判断する材料を協会自ら消したのではないかと、相撲協会の取組編成のやり方が当時問題視されたが、結果的に若嶋津は多賀竜に敗れて3敗となり、優勝も横綱昇進も逃した。
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当時のたまごどんはこのときの取組を見て、若嶋津なら今の多賀竜の方が強いだろうと感じた。本人は一生懸命に筋肉と体重を増やそうと特製プロテインを飲んだりしていたが、糖尿にかかってからは精彩が全く無くなってしまった。という訳で、たまごどん的最弱大関は若嶋津です。八百長の中盆だった板井が「若嶋津を横綱にしようと頑張ったんだが、弱すぎてダメだった」と自書に書いていたと記憶している。たぶん、この告白は事実なんだろう。そうでないとあの弱かった若嶋津が横綱挑戦までたどり着けないように思うからだ。若嶋津に対するたまごどんの印象が悪いのも、引退直前まで星を返していたせいかもしれないな。
自分の体質に向いていない大相撲で大関まで登り、女優を奥さんに射止めて、名門の二所ノ関親方となった若嶋津は、幸せな相撲人生だったのかもしれないなあ。動画は若嶋津 vs 多賀竜です。

th302d at 02:02│Comments(2)│相撲
この記事へのコメント
1. Posted by えちぜん 2017年11月03日 08:55
>たまごどん的最弱大関は若嶋津です
でもキャプテン翼では頼もしい活躍をしていたような気がするが…。小生の記憶違いか?
でもキャプテン翼では頼もしい活躍をしていたような気がするが…。小生の記憶違いか?
2. Posted by たまごどん 2017年11月04日 08:45
小学校のグラウンドで検証した結果は、「三角飛びでゴールを守ることは出来ない」だったです。おのれシュナイダー!
