相撲
2023年12月24日
寺尾が亡くなった
だいぶサボっておりました。休みの間の出来事については機会があれば取り上げましょう。別にたいそうなことでもないんですけど。
元関脇の寺尾が亡くなった。井筒三兄弟の逆鉾と寺尾が心臓病で亡くなったことを考えると、もともとそうした体質だったのかもしれない。それにしても60歳か。
寺尾は関脇という地位で語られる力士ではない。回転のいいツッパリで場内を沸かせた超人気力士なのだ。千代の富士との対戦で寺尾は釣り落としで敗れている。たまごどんは、あの相撲が寺尾のベストバウトだと思っているんだけど、どやろ?
寺尾よ、さようなら。
元関脇の寺尾が亡くなった。井筒三兄弟の逆鉾と寺尾が心臓病で亡くなったことを考えると、もともとそうした体質だったのかもしれない。それにしても60歳か。
寺尾は関脇という地位で語られる力士ではない。回転のいいツッパリで場内を沸かせた超人気力士なのだ。千代の富士との対戦で寺尾は釣り落としで敗れている。たまごどんは、あの相撲が寺尾のベストバウトだと思っているんだけど、どやろ?
寺尾よ、さようなら。
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2021年03月27日
琴剣の訃報に、地味にショックを受けている
琴剣淳弥氏が亡くなったと聞いて、たまごどんは地味にショックを受けている。享年60歳で、死因は明らかにされていない。
琴剣氏のことはたまごどんが行く!でも取り上げたことがある。彼の力士漫画は経験者でしか描けないリアリティと、彼の人柄による力士愛に溢れていて、たまごどんが好きだった漫画家だった。
ブログでも書いたけど、琴剣は漫画の神様である手塚治虫を崇拝して、偶然会った手塚治虫に最敬礼したというエピソードを聞いて、彼のことが大好きになった。元力士で引退後の体付きから判断しても、太りすぎだった感じは否めない。元相撲取りこそ、体重管理には気を付けてほしい。
琴剣氏のことはたまごどんが行く!でも取り上げたことがある。彼の力士漫画は経験者でしか描けないリアリティと、彼の人柄による力士愛に溢れていて、たまごどんが好きだった漫画家だった。
ブログでも書いたけど、琴剣は漫画の神様である手塚治虫を崇拝して、偶然会った手塚治虫に最敬礼したというエピソードを聞いて、彼のことが大好きになった。元力士で引退後の体付きから判断しても、太りすぎだった感じは否めない。元相撲取りこそ、体重管理には気を付けてほしい。
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2019年09月18日
元逆鉾の井筒親方が亡くなった
昨日のNHKニュースで逆鉾が亡くなったと聞いて、たまごどんは「え!?」と声を出してしまった。記事によると膵臓ガンだったという。享年58歳。
逆鉾はたまごどんが最も相撲を見ていた中学・高校時代に活躍した力士で、三役と三賞の常連だった。記事によると、関脇は9場所連続で務め、殊勲賞5回と技能賞4回だそうだ。技能賞が多いイメージだったけど、人の記憶は当てにならない。外掛けや押しも強かったが、代名詞となった逆鉾の技はもろ差し。もろ差し名人と言われた鶴ケ嶺の息子だけあって、見事な技だった。スパンッと巻き変えが決まるんだよねえ。
逆鉾は土俵で喜ばないことで有名だった。これは隆の里戦で、外掛けで勝った逆鉾が土俵上でガッツポーズをして、親方衆からえらく怒られたことから意識的にそう振る舞っていたらしい。
土俵人気は千代の富士や弟の寺尾に完敗していたが、たまごどんはドロンパ逆鉾が好きだった。なお、ドロンパ逆鉾の命名者はデーモン小暮閣下。好角家として知られている閣下は、オールナイトニッポンの「大徹頑張って」のコーナーで逆鉾の渾名を決めたのだ。たまごどんは今でも、なかなかに彼の特徴を掴んだ渾名だと思っている。
「勝ち越せはそれでいい」という考えだったようで出世欲があまりなく、体も力士としては小柄だったためか、大関になることはなかった。金星7個も関脇時代が長かったことによる副産物だ。弟の寺尾と兄弟で三役となったときは、先代井筒親方が凄く喜んでいたのが印象的だった。
それにしても58歳か‥。相撲取りが短命ということは事実だな。北の湖(62歳)、千代の富士(61歳)、柏戸(58歳)、双羽黒(55歳)。太く短くも魅力的だが、もうちょっとなんとかしないと、新弟子が来なくなるよ。
さようなら、逆鉾関。
写真は先代井筒親方を担ぐ三兄弟です。
逆鉾はたまごどんが最も相撲を見ていた中学・高校時代に活躍した力士で、三役と三賞の常連だった。記事によると、関脇は9場所連続で務め、殊勲賞5回と技能賞4回だそうだ。技能賞が多いイメージだったけど、人の記憶は当てにならない。外掛けや押しも強かったが、代名詞となった逆鉾の技はもろ差し。もろ差し名人と言われた鶴ケ嶺の息子だけあって、見事な技だった。スパンッと巻き変えが決まるんだよねえ。
逆鉾は土俵で喜ばないことで有名だった。これは隆の里戦で、外掛けで勝った逆鉾が土俵上でガッツポーズをして、親方衆からえらく怒られたことから意識的にそう振る舞っていたらしい。
土俵人気は千代の富士や弟の寺尾に完敗していたが、たまごどんはドロンパ逆鉾が好きだった。なお、ドロンパ逆鉾の命名者はデーモン小暮閣下。好角家として知られている閣下は、オールナイトニッポンの「大徹頑張って」のコーナーで逆鉾の渾名を決めたのだ。たまごどんは今でも、なかなかに彼の特徴を掴んだ渾名だと思っている。
「勝ち越せはそれでいい」という考えだったようで出世欲があまりなく、体も力士としては小柄だったためか、大関になることはなかった。金星7個も関脇時代が長かったことによる副産物だ。弟の寺尾と兄弟で三役となったときは、先代井筒親方が凄く喜んでいたのが印象的だった。
それにしても58歳か‥。相撲取りが短命ということは事実だな。北の湖(62歳)、千代の富士(61歳)、柏戸(58歳)、双羽黒(55歳)。太く短くも魅力的だが、もうちょっとなんとかしないと、新弟子が来なくなるよ。
さようなら、逆鉾関。
写真は先代井筒親方を担ぐ三兄弟です。
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2018年10月10日
輪島の死
幕内優勝を14回果たした名横綱である輪島が亡くなった。享年70歳。デーモン小暮閣下の最も愛する力士であり、左下手投げを武器に、北の湖と共に輪湖時代を築いた男である。
しかしたまごどんは横綱輪島の全盛期をよく知らない。輪島の引退は81年で、たまごどんが大相撲に目覚めるのはもう少し経ってからだ。北の湖は彼の最後の全勝優勝を記憶しているんだが。たまごどんが輪島を意識したのは、年寄株問題で相撲界から追放されたニュースであり、ジャイアント馬場に拾われて全日本プロレスに入門してからよく見るようになった。トップロープによたよたと登る輪島は実にカッコ悪かった。
当時のプロレス漫画のプロレス・スターウォーズは、クラッシャー・バンバン・ビガロと輪島大士との一騎打ちがかなり長く連載していた。吉田聡のちょっとヨロシク!では、体操が得意な体育教師役として輪島が登場していた。なんだかんだ言いながら、輪島のゴールデンアームボンバーはたまごどんも気に入っているプロレス技の一つだ。このエントリのカテゴリは、「訃報」「相撲」「プロレス」の3つが正しいと思うが、2つまでしか入らない仕様なのだから仕方ない。
プロレスもいつの間にかフェードアウトした輪島は、とんねるずの番組に出演するようになるのだが、その辺りからはTVを見てないのでよく分からない。輪島さんは豪快な人生を駆け抜けたと思う。故人に合掌。
しかしたまごどんは横綱輪島の全盛期をよく知らない。輪島の引退は81年で、たまごどんが大相撲に目覚めるのはもう少し経ってからだ。北の湖は彼の最後の全勝優勝を記憶しているんだが。たまごどんが輪島を意識したのは、年寄株問題で相撲界から追放されたニュースであり、ジャイアント馬場に拾われて全日本プロレスに入門してからよく見るようになった。トップロープによたよたと登る輪島は実にカッコ悪かった。
当時のプロレス漫画のプロレス・スターウォーズは、クラッシャー・バンバン・ビガロと輪島大士との一騎打ちがかなり長く連載していた。吉田聡のちょっとヨロシク!では、体操が得意な体育教師役として輪島が登場していた。なんだかんだ言いながら、輪島のゴールデンアームボンバーはたまごどんも気に入っているプロレス技の一つだ。このエントリのカテゴリは、「訃報」「相撲」「プロレス」の3つが正しいと思うが、2つまでしか入らない仕様なのだから仕方ない。
プロレスもいつの間にかフェードアウトした輪島は、とんねるずの番組に出演するようになるのだが、その辺りからはTVを見てないのでよく分からない。輪島さんは豪快な人生を駆け抜けたと思う。故人に合掌。
th302d at 23:08|Permalink│Comments(0)
2017年11月29日
日馬富士の引退
貴ノ岩への暴行問題によって、日馬富士が引退することになった。これで幕引きなんだろうなあ。
年末のRIZINに日馬富士をリングに上げることが出来たら、そのインパクトは絶大だ。ワンマッチ契約で2億は積んでいいと思うけどな。
年末のRIZINに日馬富士をリングに上げることが出来たら、そのインパクトは絶大だ。ワンマッチ契約で2億は積んでいいと思うけどな。
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2017年10月21日
たまごどん的最弱の大関は
二所ノ関親方こと若嶋津は、とりあえずは命に別状がないようだ。彼はサウナでも倒れていて、そこからの帰宅途中で事故をしたらしい。まずはホッとした。
若嶋津をこんなことで取り上げることになるとは思っていなかったが、たまごどんは若嶋津関には思い出がある。いつかは書こうと思いつつ、キッカケが無いまま延び延びになっていた現役時代の若嶋津のことを書くことにしよう。
当時の若嶋津は「誰ととっても大相撲」というキャッチコピーの人気力士で、南海の黒豹(若嶋津は鹿児島出身)と呼ばれていた。体型がソッポ型で、もともと食が細く太りにくい体質だったようだ。最盛期でも130kgくらいじゃなかったかなあ。。当時の大関陣は朝潮、琴風、北天佑、若嶋津といった面々だ。他の大関には型がある(朝潮はぶちかまし、琴風はがぶり寄り、北天佑は上手投げ)のに、若嶋津にはない。そのために勝味が遅く、得意技が下手投げと、大関にしてはなんとも締まらない相撲だった。巨漢力士は苦手にしていて、琴風や小錦にはほとんど勝っていない。引退間近の頃は、38トリオ(双羽黒、北勝海、大乃国)にも全く歯が立たなかった。
多賀竜が平幕12枚目で優勝をしたときに、多賀竜と若嶋津との取組となった。この取組の裏事情が面白いので、ここから引用しておこう。
************************************
昭和59年9月場所
この場所の優勝争いは13日目の時点で1敗で西前頭12枚目・多賀竜が先頭に立ち、2敗で東大関・若嶋津と西前頭6枚目・小錦が追う展開となっていた。本来であれば14日目に若嶋津は東張出横綱・千代の富士と対戦するはずだったが、2人の平幕力士が優勝争いをしていたことで当時の審判部を悩ませた。その理由として、以下の5点が挙げられた:
平幕で優勝争いをしている力士は、番付の位置に関係なく大関以上との対戦が必要だった。
若嶋津が優勝した3月場所と7月場所は、千代の富士が休場しており対戦がなかった。その間の5月場所では若嶋津は千代の富士に完敗している。従って千代の富士対若嶋津の対戦は若嶋津の横綱昇進を判断する上でも必要だった。
若嶋津は小錦に敗れており、優勝争いの点でも1敗の多賀竜との対戦は必要だった。
小錦は横綱隆の里を下しており、優勝争いを考えると千代の富士戦は必要だった。
千秋楽の横綱対決(隆の里対千代の富士)は外すことができない。
※結局14日目に組まれた割は多賀竜対若嶋津と、小錦対千代の富士であった。千秋楽結びの一番は隆の里対千代の富士が組まれたことによって若嶋津にとって唯一の対横綱戦である千代の富士戦がなくなってしまった。これにより横綱昇進を判断する材料を協会自ら消したのではないかと、相撲協会の取組編成のやり方が当時問題視されたが、結果的に若嶋津は多賀竜に敗れて3敗となり、優勝も横綱昇進も逃した。
***********************************
当時のたまごどんはこのときの取組を見て、若嶋津なら今の多賀竜の方が強いだろうと感じた。本人は一生懸命に筋肉と体重を増やそうと特製プロテインを飲んだりしていたが、糖尿にかかってからは精彩が全く無くなってしまった。という訳で、たまごどん的最弱大関は若嶋津です。八百長の中盆だった板井が「若嶋津を横綱にしようと頑張ったんだが、弱すぎてダメだった」と自書に書いていたと記憶している。たぶん、この告白は事実なんだろう。そうでないとあの弱かった若嶋津が横綱挑戦までたどり着けないように思うからだ。若嶋津に対するたまごどんの印象が悪いのも、引退直前まで星を返していたせいかもしれないな。
自分の体質に向いていない大相撲で大関まで登り、女優を奥さんに射止めて、名門の二所ノ関親方となった若嶋津は、幸せな相撲人生だったのかもしれないなあ。動画は若嶋津 vs 多賀竜です。
若嶋津をこんなことで取り上げることになるとは思っていなかったが、たまごどんは若嶋津関には思い出がある。いつかは書こうと思いつつ、キッカケが無いまま延び延びになっていた現役時代の若嶋津のことを書くことにしよう。
当時の若嶋津は「誰ととっても大相撲」というキャッチコピーの人気力士で、南海の黒豹(若嶋津は鹿児島出身)と呼ばれていた。体型がソッポ型で、もともと食が細く太りにくい体質だったようだ。最盛期でも130kgくらいじゃなかったかなあ。。当時の大関陣は朝潮、琴風、北天佑、若嶋津といった面々だ。他の大関には型がある(朝潮はぶちかまし、琴風はがぶり寄り、北天佑は上手投げ)のに、若嶋津にはない。そのために勝味が遅く、得意技が下手投げと、大関にしてはなんとも締まらない相撲だった。巨漢力士は苦手にしていて、琴風や小錦にはほとんど勝っていない。引退間近の頃は、38トリオ(双羽黒、北勝海、大乃国)にも全く歯が立たなかった。
多賀竜が平幕12枚目で優勝をしたときに、多賀竜と若嶋津との取組となった。この取組の裏事情が面白いので、ここから引用しておこう。
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昭和59年9月場所
この場所の優勝争いは13日目の時点で1敗で西前頭12枚目・多賀竜が先頭に立ち、2敗で東大関・若嶋津と西前頭6枚目・小錦が追う展開となっていた。本来であれば14日目に若嶋津は東張出横綱・千代の富士と対戦するはずだったが、2人の平幕力士が優勝争いをしていたことで当時の審判部を悩ませた。その理由として、以下の5点が挙げられた:
平幕で優勝争いをしている力士は、番付の位置に関係なく大関以上との対戦が必要だった。
若嶋津が優勝した3月場所と7月場所は、千代の富士が休場しており対戦がなかった。その間の5月場所では若嶋津は千代の富士に完敗している。従って千代の富士対若嶋津の対戦は若嶋津の横綱昇進を判断する上でも必要だった。
若嶋津は小錦に敗れており、優勝争いの点でも1敗の多賀竜との対戦は必要だった。
小錦は横綱隆の里を下しており、優勝争いを考えると千代の富士戦は必要だった。
千秋楽の横綱対決(隆の里対千代の富士)は外すことができない。
※結局14日目に組まれた割は多賀竜対若嶋津と、小錦対千代の富士であった。千秋楽結びの一番は隆の里対千代の富士が組まれたことによって若嶋津にとって唯一の対横綱戦である千代の富士戦がなくなってしまった。これにより横綱昇進を判断する材料を協会自ら消したのではないかと、相撲協会の取組編成のやり方が当時問題視されたが、結果的に若嶋津は多賀竜に敗れて3敗となり、優勝も横綱昇進も逃した。
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当時のたまごどんはこのときの取組を見て、若嶋津なら今の多賀竜の方が強いだろうと感じた。本人は一生懸命に筋肉と体重を増やそうと特製プロテインを飲んだりしていたが、糖尿にかかってからは精彩が全く無くなってしまった。という訳で、たまごどん的最弱大関は若嶋津です。八百長の中盆だった板井が「若嶋津を横綱にしようと頑張ったんだが、弱すぎてダメだった」と自書に書いていたと記憶している。たぶん、この告白は事実なんだろう。そうでないとあの弱かった若嶋津が横綱挑戦までたどり着けないように思うからだ。若嶋津に対するたまごどんの印象が悪いのも、引退直前まで星を返していたせいかもしれないな。
自分の体質に向いていない大相撲で大関まで登り、女優を奥さんに射止めて、名門の二所ノ関親方となった若嶋津は、幸せな相撲人生だったのかもしれないなあ。動画は若嶋津 vs 多賀竜です。
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2016年08月02日
さらば千代の富士
千代の富士貢が膵臓ガンのために亡くなった。享年61歳。ついこの前北の湖が亡くなってショックを受けたというのに、ウルフまでが亡くなったとは。このエントリでは昭和最後の大横綱の足跡を振り返ることにしよう。それと、週刊ポスト的大相撲史観による大相撲の八百長(注射)疑惑についても触れなくてはなるまい。
千代の富士は幕内最軽量になったこともある小柄な力士だが、その圧倒的なスピードと筋トレで培ったパワーで、出世街道を驀進した。大関は僅かに三場所で通過している。筋トレは左肩の脱臼対策だったが、結果的に千代の富士の力士寿命を大きく延ばすことに貢献した。頭を押さえつけての上手投げはウルフスペシャルと呼ばれ、立ち合いから前褌(マエミツ)を取るスピードは角界一だった。別格の強さだった北の湖と、千代の富士が唯一苦手にした隆の里が引退してからは、無敵を誇った。ここの対戦成績から、たまごどんチョイスで何人かピックアップしよう。改めて見ると凄い成績だな!
千代の富士 6-12 北の湖
千代の富士12-16 隆の里
千代の富士31-15 朝潮
千代の富士33-14 北天佑
千代の富士23−9 大乃国
千代の富士 8−6 双羽黒
千代の富士30−6 旭富士
千代の富士12−2 霧島
千代の富士は53連勝や通算1000勝超えという記録も打ち立て、国民栄誉賞にも選ばれることになる。
ここからは彼の負の側面を語ろう。週刊ポストが執念深く連載した大相撲の疑惑、すなわち注射だ。告発した板井によると、それに多く関与したとされる力士が千代の富士であるという。15日間の場所で、ガチ相撲は5−6番しかなかったこともあるそうだ。確かにさっきの対戦成績を見ても、ここまでの差はつかないだろうという気もする。
注射は、強い側の力士が「負けてくれ」とお願いするのが最も成立しやすい。負ける側にしてみれば、どうせ負けるなら少しでも回収したいからだ。千代の富士はガチで強く、後援者や懸賞金で懐は常に温かかった。八百長に応じない力士には、土俵上で制裁する力と技も兼ね備えていた。土俵に思いっきり叩きつけた寺尾戦は、千代の富士の制裁だったというのが、週刊ポスト的大相撲の見方だ。
彼の53連勝を止めたのは大乃国である。彼はガチ相撲で横綱にまで登り詰めた、週刊ポスト的大相撲史観では奇跡の横綱だ。彼が千代の富士を止めなかったら、連勝はおそらく双葉山の69連勝を超えただろうと言われている。
たまごどんは板井や大鳴門親方の命がけの告発が事実であることを疑っていないが、ガチ相撲ばかりで怪我人続出の場所になるのもいかがなものかと感じている。千代の富士は筋肉質の肉体で女性ファンを増やし、スピード相撲で玄人衆を唸らせ、横綱の座を狙う小錦を筆頭とした外国人力士を返り討ちにし、現役最後の場所で、横綱の器と認めた貴花田に王者のバトンを渡した。これ以上ない覇者の交代劇だった。
さようなら千代の富士。
千代の富士は幕内最軽量になったこともある小柄な力士だが、その圧倒的なスピードと筋トレで培ったパワーで、出世街道を驀進した。大関は僅かに三場所で通過している。筋トレは左肩の脱臼対策だったが、結果的に千代の富士の力士寿命を大きく延ばすことに貢献した。頭を押さえつけての上手投げはウルフスペシャルと呼ばれ、立ち合いから前褌(マエミツ)を取るスピードは角界一だった。別格の強さだった北の湖と、千代の富士が唯一苦手にした隆の里が引退してからは、無敵を誇った。ここの対戦成績から、たまごどんチョイスで何人かピックアップしよう。改めて見ると凄い成績だな!
千代の富士 6-12 北の湖
千代の富士12-16 隆の里
千代の富士31-15 朝潮
千代の富士33-14 北天佑
千代の富士23−9 大乃国
千代の富士 8−6 双羽黒
千代の富士30−6 旭富士
千代の富士12−2 霧島
千代の富士は53連勝や通算1000勝超えという記録も打ち立て、国民栄誉賞にも選ばれることになる。
ここからは彼の負の側面を語ろう。週刊ポストが執念深く連載した大相撲の疑惑、すなわち注射だ。告発した板井によると、それに多く関与したとされる力士が千代の富士であるという。15日間の場所で、ガチ相撲は5−6番しかなかったこともあるそうだ。確かにさっきの対戦成績を見ても、ここまでの差はつかないだろうという気もする。
注射は、強い側の力士が「負けてくれ」とお願いするのが最も成立しやすい。負ける側にしてみれば、どうせ負けるなら少しでも回収したいからだ。千代の富士はガチで強く、後援者や懸賞金で懐は常に温かかった。八百長に応じない力士には、土俵上で制裁する力と技も兼ね備えていた。土俵に思いっきり叩きつけた寺尾戦は、千代の富士の制裁だったというのが、週刊ポスト的大相撲の見方だ。
彼の53連勝を止めたのは大乃国である。彼はガチ相撲で横綱にまで登り詰めた、週刊ポスト的大相撲史観では奇跡の横綱だ。彼が千代の富士を止めなかったら、連勝はおそらく双葉山の69連勝を超えただろうと言われている。
たまごどんは板井や大鳴門親方の命がけの告発が事実であることを疑っていないが、ガチ相撲ばかりで怪我人続出の場所になるのもいかがなものかと感じている。千代の富士は筋肉質の肉体で女性ファンを増やし、スピード相撲で玄人衆を唸らせ、横綱の座を狙う小錦を筆頭とした外国人力士を返り討ちにし、現役最後の場所で、横綱の器と認めた貴花田に王者のバトンを渡した。これ以上ない覇者の交代劇だった。
さようなら千代の富士。
2015年11月21日
北の湖敏満の死
大横綱の北の湖親方が亡くなった。たまごどんのヒーローだったあの北の湖がもう居ないというのが、今でも信じられない。
たま子がパソコンでアンパンマンを見ているので、明日詳しく書きます。
(という訳で、続き)
相撲を見始めたのが小学生の頃なので、たまごどんは北の湖時代をかろうじで知っている。ライバルの輪島の方は、プロレスラーとしてよく見ることになるのだが、それはまた別の話だ。巻き替えが上手で、一度自分の型になるとまず負けなかった。北の湖は「憎らしいほど強い」と言われた大横綱であるが、後年はケガのために休場を繰り返し、千代の富士や隆の里への世代交代を許してしまった。
北の湖をモデルにした漫画キャラが、Gu-Gu ガンモに出て来たとしみつくんだ。主人公の半平太が通う小学校の番長で、「ふん!ふん!」と息巻きつつも潔癖症という設定だった。彼のライバルにみつぐくんというキャラも出てくる。こっちのモデルはもちろん千代の富士貢だ。
たまごどんが中学生のときに、北の湖が男を見せる。1984年(昭和59年)の五月場所、北の湖は復活の全勝優勝を果たすのだ。13日目に弟弟子の北天祐が隆の里を破って北の湖の優勝が決まると、北天祐が北の湖に微笑み、それに北の湖が微笑み返す有名なシーンがある。男だねえ、北天祐!
北の湖は逸話も多い。自分の取り口は全て記憶していたらしく、「○年の△場所での××とは、こんな内容で、決まり手はこうだった」とすらすら答えたそうだ。酒豪としても有名で、成人の日に「これからは酒を控える」とコメントしたと聞く。Wikiには「酒を辞める」になっていたけど、たまごどんの記憶違いかな?Wikiには書かれてなかったが、彼は人前で歌うことが大嫌いだったそうだ。
北の湖のエピソードを楽しく書いてしまったが、彼はもうこの世にいない。62歳というのはあまりにも早すぎるように思う。八百長問題に大揺れした当時の日本相撲協会理事長は激務だったんだろうなあ。合掌。
たま子がパソコンでアンパンマンを見ているので、明日詳しく書きます。
(という訳で、続き)
相撲を見始めたのが小学生の頃なので、たまごどんは北の湖時代をかろうじで知っている。ライバルの輪島の方は、プロレスラーとしてよく見ることになるのだが、それはまた別の話だ。巻き替えが上手で、一度自分の型になるとまず負けなかった。北の湖は「憎らしいほど強い」と言われた大横綱であるが、後年はケガのために休場を繰り返し、千代の富士や隆の里への世代交代を許してしまった。
北の湖をモデルにした漫画キャラが、Gu-Gu ガンモに出て来たとしみつくんだ。主人公の半平太が通う小学校の番長で、「ふん!ふん!」と息巻きつつも潔癖症という設定だった。彼のライバルにみつぐくんというキャラも出てくる。こっちのモデルはもちろん千代の富士貢だ。
たまごどんが中学生のときに、北の湖が男を見せる。1984年(昭和59年)の五月場所、北の湖は復活の全勝優勝を果たすのだ。13日目に弟弟子の北天祐が隆の里を破って北の湖の優勝が決まると、北天祐が北の湖に微笑み、それに北の湖が微笑み返す有名なシーンがある。男だねえ、北天祐!
北の湖は逸話も多い。自分の取り口は全て記憶していたらしく、「○年の△場所での××とは、こんな内容で、決まり手はこうだった」とすらすら答えたそうだ。酒豪としても有名で、成人の日に「これからは酒を控える」とコメントしたと聞く。Wikiには「酒を辞める」になっていたけど、たまごどんの記憶違いかな?Wikiには書かれてなかったが、彼は人前で歌うことが大嫌いだったそうだ。
北の湖のエピソードを楽しく書いてしまったが、彼はもうこの世にいない。62歳というのはあまりにも早すぎるように思う。八百長問題に大揺れした当時の日本相撲協会理事長は激務だったんだろうなあ。合掌。
2013年01月14日
初場所二日目の雪の日に、彼らは来た!
たまごどんが嫁さんの実家で相撲を見ていると、お義母さんが「あら!?高須院長が来ている!」と言われた。そっくりな人が出ているだけじゃないのかのなあ。
本人だよ!!Σ(゚д゚;)
勢という四股名の関取が、高須クリニックの化粧回しだったのが伏線だったんだろうか。
もちろん、その横には
おおっ、「毎日かあさん」の西原理恵子も居るわ。
「他にも有名人が居るんじゃない?」と嫁が言う。そんな、もうこの二人でお腹一杯っしょ。
林家ペーが来ちょる!高須先生の一行とは関係ないようだし、パー子は見つからなかった。なぜこうなったのかはよく分からないが、とにかく珍発見だ。
NHK相撲中継が終わる6時まであと約1時間、このチャンスを見逃すな!
本人だよ!!Σ(゚д゚;)
勢という四股名の関取が、高須クリニックの化粧回しだったのが伏線だったんだろうか。
もちろん、その横には
おおっ、「毎日かあさん」の西原理恵子も居るわ。
「他にも有名人が居るんじゃない?」と嫁が言う。そんな、もうこの二人でお腹一杯っしょ。
林家ペーが来ちょる!高須先生の一行とは関係ないようだし、パー子は見つからなかった。なぜこうなったのかはよく分からないが、とにかく珍発見だ。
NHK相撲中継が終わる6時まであと約1時間、このチャンスを見逃すな!